縁の話3(体験談からの話)
さて、パート3までやってきました。
テキスト量にすると少ないとは思うのですが、たくさん要素を込めて書いているので読みごたえを感じてくれたら嬉しいです。
1で縁は大まかに分けていくつかの種類があるといいました。
たくさんの縁の中から今私たちが関わっている人たちは、自分と似たような波動、周波数を持っている人たちであること、では俗に言う周波数波動とはなんなのか?について2で書いてゆきました。
似たような部分で引き合うので自分の未消化な部分と似た要素を持つ人とも引き合います。
ただ、いわゆる私たちが良縁悪縁(本来は良い悪いもないです。)とカテゴライズする要素として、自分の未消化、未処理な部分と向き合うために、協力関係で学びを進めるか、そこの部分を刺激して向き合うことを促すか、だと思います。
その刺激がちょっとでも消化し向き合うことができるものもあれば、積もっているものが大きかったり今の自分以上のものを昇華しなければいけない場合は刺激も強くなります。(それは外界からの刺激でもあり、自身への揺さぶりの大きさでもあると思います。)
なぜ成長しなければならないのか?と問われると、はっきりとまだ答えられないです。
一説には地球のためだとか、宇宙のためだとか、そもそも人間は成長するために生まれてるだとか言いますが、私の信条として自分が経験体験していないこともしくはどこかで腑に落ちたこと納得していないことを、むやみやたらに外に意見をだしてはいけないという、自分の発言からの責任感によるものです。
しかしながら、自分の未消化な部分を解消しない限り原因の根源の同じことが形を変えて何度も人生にぶち当たってきます。
例えば、いつも似たような異性にであってしまう、したくないのにいつもこういう恋愛をしてしまう、会社や集団でいつもなぜかそういう役回りになってしまう…
もちろん個性や性質や人より秀でていてそこが目立つ形で発揮されているのならよいのですが、自分が苦しくなること、追い詰められたり苦しい思いをするなら、一度内面と自分自身と向き合うことがよりよく生きることになってきます。
ですので結果として成長してしまった方が生きやすくなりやすい、前に進みやすい、嫌なこと(未消化な部分を含んで出会う人はそこを刺激するもしくな似たもの同士ですから、胸がざわつくなどとっかかりを感じやすいです。)
が起こりにくくなるので、そういう状況になるならば私はそこに目を向けることを奨めます。
では、どのような方法で進めてゆけばいいのかといいますと、個人的にはいくつかのプロセスがあると思っています。
・気づく
・疑う
・掘り下げる
・まず自分を認める
・納得する
・慰める(自身のケア)
・解釈を変える(その時受けた衝撃を第三者視点で解釈する、今の自分で冷静に考えて、ねじ曲がった解釈をしていたり、相手の状況から不当に言われたのではないか?など)
・未来や出会う人、会っている人たちの対応が変わってくる
大まかにこのプロセスではないかと思います。
順に解説していきましょう。
・気づく
まず、同じようなことが形を変えて起こっているな、自分の考え方や過去の癖でやってしまっていることに気が付くことです。
たぶんこの記事を読んでいる人は心辺りがあると思います。
・疑う
これは気づくと似ていますが、もしかしたらこの行動も自分の癖からきているもので損な役回りになってしまっているのかも、と疑うこと。
そして、いくつかの出来事を照らし合わせた原因がある程度大まかな形や出来事に収束されると気が付くのではないかと思います。
・掘り下げる
この作業はとても苦しいですし、当時の自分の感情も吹き出ると思います。
この作業はとても時間がかかる場合もありますし、現実の時間の尺度で考えてへこんだりそんな自分を責めるのはやめましょう。
・まず自分を認める。
その時の対応が最善だった、自分はよくがんばったと認めましょう。
自分が一番の自分の味方でいてください。
好きなものを食べてもよし、欲しかったものを買うのもよし、人に話を聴いてもらうのもよし。
また、霊的な話をすると周りはどんなに助けたいと思っても”本人が助けてほしい”、と言うなり思うなり願うなりしないと助けてはいけないという決まりがあります。
子供を思い浮かべると分かりやすいのですが、助けることや手をかすのは簡単ですが、本人の成長の機会を奪ってしまうからです。
また人があなたを助けたいと思っても、おせっかいになってしまうかも知れないし、話させることで傷を思い出させることを躊躇している場合もあります。
1人では難しいと思ったら、行政や専門機関の扉をたたいてみてください。
意外と人を助けることで救われる人もいるものなのです。
ただその人が解決してくれるのではなく主体はご本人ですから、そこは頭に入れた上でにはなりますが。
・納得する
認めた上で自分を納得させましょう。
認めると似ているのですが、書いている私のイメージだと擦りむいたときに止血をしたら絆創膏をあてるようなイメージです。
同時にしている場合がほとんどだと思います。
・慰める
それでもやはり、感情がでてくると思います。
あの時怖かったと同時に悔しかった。
出来ない自分や弱い自分をゆるせない。
あのとき、ああいえばこんな扱いをされずに済んだのかもしれない。
その時はただショックや受けた傷の大きさに気が付かなかった感情が出てきます。
それでも、あのときの自分を褒めましょう。
ここまで生きてきた、生命をつなげて必死で生きてきた。自分を褒めましょう。
たくさん泣いていいです。
弱音も吐いていいです。
自分を大切に、自分の最高の味方は自分です。
・解釈を変える
実はあの時あの状況、あの人は、もしかしたら別の件で怒っていたことをたまたま近くにいた私にぶつけてきただけではないだろうか?
あの状況だとを加味すると実は本当は別の人、もしくは自分自身の傷を私に話していただけではないのだろうか?
あの人は、怒っていたけど、本当はとてもとても悲しくて辛くて自分でもどうしたらいいか分からなくて、ただ怒鳴っていただけなのではないだろうか?
見方を変えてみると意外と必ずしも自分に向けて攻撃していなかったのではないか?状況や性格を加味すると仕方なかったのではないかと、思えてくる、想定できます。
ここまでくれば、自分の中の思い込みや自分自身の定義も変わってきますし、今までの出来事への捉え方も変わってくると思います。
・未来や出会う人、会っている人たちの対応が変わってくる
これは本当に徐々にですし、実感できるスピードも人によって違いますが、確実に変わっていきます。
自分が変わったのであっている人の対応が変わってくるのです。
もちろん変化するまでに挙げたいくつかを何度も往復すると思います。
自分の傷や見たくない部分を見るのは、かなりきついです。
ですが、よりよく生きるため、是非ここを実感してもらいたいと思います。
生きようとするすべての命に幸あれ。
じろ。
※私は心理学の勉強をしていませんし、そういう専門ではないことをここに明記します。
あくまで経験談から語っています。